Stories of service and sacrifice may cause distress.
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Athol E. Brown

アソル・アール・ブラウン

1941年にオーストラリア陸軍の戦没者墓地サービス(AWGS)に配属されたアソル・アール・ブラウン(1905-1987)は、戦争中にオーストラリアの戦没者の遺体の回収と埋葬を監督しました。ブラウンは2/8野戦連隊(砲兵)に所属し、1941年の北アフリカ戦役で負傷して帰国した後、AWGSの責任者を務めました

1946年、帝国戦没者墓地委員会(Imperial War Graves Commission)の下で、ブラウンはオーストラリアと南太平洋地域に戦没者墓地と記念碑の設計・建設を担当するアンザック機関(Anzac Agency)を設立しました。しかし、最も困難なプロジェクトは19448月、ニューサウスウェールズ州コワラの捕虜収容所から脱走中に死亡した231人の日本軍捕虜の回収と埋葬を調整したことでした。1964年、同機関はコワラに日本人向けの永久墓地を設立し、設計はメルボルン大学で教鞭を執っていた建築家・湯浅重雄が手掛けました

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