Stories of service and sacrifice may cause distress.
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The Anzac Agency

アンザック局

1917年5月21日、フェビアン・ウェア卿によって設立され、勅許状によって設置された帝国戦争墓委員会は、大英帝国の戦死者墓地の設置と維持を任務としていた。そして1960年、英連邦戦争墓地委員会(CWGC)に改称された。

1946年6月以降、CWGCは新たな組織であるアンザック局(現在のオーストラリア戦死者墓地事務所)の支援を受けるようになった。オーストラリア戦死者墓地設営隊(AWGS)が初期回復、登録、埋葬業務を担当していたが、アンザック局はオーストラリアの太平洋作戦における戦死者墓地の設計と建設の責務を担った。

AWGSの元所長であったアソル・E・ブラウン准将が、メルボルンのコリンズストリートに事務所を構えるアンザック局の事務所長に任命された。

ブラウン率いる復員した建築家、技術者、園芸家からなるチームは、オーストラリア全土で新たな戦死者墓地の拡張と建設に携わった。ビクトリア州スプリングベールやタトゥラドイツ人墓地、ニューサウスウェールズ州カウラ日本人墓地などがその例だ。

海外ではマレーシアのラブアン、パプアニューギニアのボマナ、ラエ、ラバウル、インドネシアのマカッサル、ニューカレドニアのブーライユなど、様々な墓地の設計と建設を監督した。

しかし、アンザック局の最高傑作である英連邦戦死者墓地は、日本の横浜・保土ヶ谷に建設された。

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