Stories of service and sacrifice may cause distress.
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Michael Iwanaga

マイケル・ヨシオ・イワナガ

マイケル・ヨシオ・イワナガ(1912–2005)は、戦後の日本においてアメリカ大使館の外国建築担当付官の助手を務めていた際、キリスト教宣教師のポール・ルシュによってオーストラリア人たちに紹介されました。福岡県生まれですが、アメリカで育った岩永は、ワシントン大学でモダニストのライオネル・プリーズに建築を学び、1937年にアメリカ建築家協会(AIA)のスクール・メダルを受賞しました。機会の限られた岩永は、日本に戻り、ルシュのために清里にセント・アンドリューズ・チャペルを設計しました。戦争により、彼は日本帝国陸軍に強制徴兵され、満州、マラヤ、ビルマで従軍し、アメリカに住む彼の家族は抑留されました。1952年にアメリカに戻った岩永は、シカゴに定住し、日系アメリカ人の市民団体や奉仕団体の役員を務めながら、成功したキャリアを築き上げました。

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