笠島洋二(1921–2012)は、アメリカ人によってアンザック機関に紹介された横浜戦没者墓地の初期設計に携わりました。1945年9月に日本大学を卒業した笠島は、アメリカ人建築家フランク・ロイド・ライトが設計したキリスト教学校・自由学園で建築を教えていました。ライトの地元のオヤ石の革新的な使用に感銘を受けた笠島は、その石を戦没者墓地に採用しました。フィンランドの建築家アーネ・エルヴィの招きで、1951年にスカンジナビアに移住し、1955年のヘルシンボリ博覧会における日本のパビリオンの設計で、ケンゾー・タンギとテツオ・マクモトと協力しました。カサジマは1961年にスウェーデン国籍を取得し、ストックホルムのベルギウス植物園内に日本庭園を設計しました。1991年に明仁天皇から、海外での日本文化の普及に貢献した功績で旭日章を受章しました。。
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