英連邦戦争墓地委員会(CWGC)が管理する横浜の英連邦戦死者墓地は、1946年から1951年にかけてアンザック局によって設計された。ここには1,555名の英連邦軍兵士の遺骨が安置されている。
ほとんどは第二次世界大戦(1939~1945年)中に日本と中国で捕虜として亡くなった。少数ながら1945年から1952年に占領軍として従軍中、そして朝鮮戦争(1950~1953年)中に病気や事故で亡くなった者も含まれる。
横浜の起伏に富んだ丘陵地帯を縫うように走る墓地の小道は、朝鮮戦争、占領軍、そして民間人の戦没者ための5つの別々の墓地区(イギリス区、オーストラリア区、カナダ・ニュージーランド合同区、インド・パキスタン区、そして戦後区)を結んでいる。
イギリス区内にある横浜火葬慰霊碑には、身元不明の51人を除く335人の遺灰が安置され、その名前が壁に刻まれている。
オーストラリア区には身元不明の墓3基を含む281の墓がある。その中には海軍兵10人、陸軍兵250人、空軍兵8人、商船員9人が含まれている。戦後区には57人のオーストラリア人も眠っており、中でも1978年10月に亡くなった当時、日本に居住していたレイ・シンプソン准尉(VC)が有名だ。
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